毒親話シリーズの第27話です。
★ご注意★
・作者の実体験にフェイクを加えています
・暴言や暴力などが出てくる重い話のため
そのようなお話が苦手な方はご注意ください
最初のお話はこちら↓
前回のお話はこちら↓









今回本当に長文ですみません
前回の母の暴言については
そのまま夫に伝えてみました。
もし、私が突然事故か何かで亡くなった場合、
母の暴言や暴力の程度を夫が理解していないまま
母と娘を頻繁に会わせてしまうことを恐れたからです。
本当は夫にも母の言葉をぶつけるのは憚られたけれど
娘を守るためだから仕方ない。
結果、夫は私たちと母が会うことに関して
以前はやんわり強制するようなイメージだったところ
今後は会うのを控えることに同意してくれたのでした。
そのまま夫に伝えてみました。
もし、私が突然事故か何かで亡くなった場合、
母の暴言や暴力の程度を夫が理解していないまま
母と娘を頻繁に会わせてしまうことを恐れたからです。
本当は夫にも母の言葉をぶつけるのは憚られたけれど
娘を守るためだから仕方ない。
結果、夫は私たちと母が会うことに関して
以前はやんわり強制するようなイメージだったところ
今後は会うのを控えることに同意してくれたのでした。
本当は家族ならば助け合わなければならないのでしょう。
真っ当な親子関係であれば
育ててくれた親に我が子を見せたいし
育ててくれた親に我が子を見せたいし
互いの今後を思いあいながら
生きていくのが普通なのでしょう。
生きていくのが普通なのでしょう。
でもそれは私と母の関係では叶いませんでした。
病院に行ってほしいといっても母本人も、
本来母を助ける義務があるはずの父も拒否したからです。
これ以上両親を説得できる力など
私たち子供にはありませんでした。
本来母を助ける義務があるはずの父も拒否したからです。
これ以上両親を説得できる力など
私たち子供にはありませんでした。
当時、私が知る限りこの状態では
他害行為を通報されて警察の介入のもとで
措置入院でもしない限りは
福祉につながる切っ掛けがない状態でした。
(それはなるべく避けたかった)
他害行為を通報されて警察の介入のもとで
措置入院でもしない限りは
福祉につながる切っ掛けがない状態でした。
(それはなるべく避けたかった)
父も母も家族の関係をこれ以上
良くしようという姿勢を見せず
良くしようという姿勢を見せず
自分たちの都合を優先しましたので
私も自分の心や新しい命を優先して
生きていくことにしました。
生きていくことにしました。
今世の中では発達障害に関する
情報発信が盛んに行われています。
情報発信が盛んに行われています。
私もSNSで発信されている
発達障害の記事をいくつも拝読しました。
発達障害の記事をいくつも拝読しました。
そこで描かれている当事者像としては
ある程度の水準以上の人たちがほとんどで
ある程度の水準以上の人たちがほとんどで
知的障害もなく(多くが大学に行けるくらいには知的水準が高い)、
親が大学の費用を出せる程度にはおうちが裕福で
親が大学の費用を出せる程度にはおうちが裕福で
他害というよりは、主な困りごととしては人間関係に悩まれている方、
または現在お子さんが発達障害であり
お子さんの療育が大変であるという内容を
発信されている方が多い印象を受けました。
発信されている方が多い印象を受けました。
母のように貧困家庭出身で他害や多動、知的障害があり
ガラケーや簡単スマホで電話をかけることからすでに困難で
ブログを書くことがとてもじゃないけれど難しいような人間のことは
ガラケーや簡単スマホで電話をかけることからすでに困難で
ブログを書くことがとてもじゃないけれど難しいような人間のことは
あまり知られていないのかもしれない、
ならば私が発信していこう、と思い至ってブログを始めた次第です。
これから先、どんなに発達障害に関する啓蒙がなされたとしても
どれだけ社会福祉関連の法整備が進んだとしても
何世代もの世代交代がなされて意識改革が進んだとしても
自分たちの生活が精一杯で子供のことまで
手が回らない家庭は存在することでしょう。
手が回らない家庭は存在することでしょう。
また、ある程度教育に関心がある両親のもとに
生まれた子供が発達障害を指摘されたとしても
生まれた子供が発達障害を指摘されたとしても
子供の発達障害を受け入れない家庭もあるでしょう。
親が外国の人で日本の福祉情報を
うまくキャッチできないような家庭も存在するでしょう。
うまくキャッチできないような家庭も存在するでしょう。
母のようにセーフティーネットから零れ落ちた存在が
いなくなることはきっとないのです。
いなくなることはきっとないのです。
「とにかく学校に登校できていれば大丈夫」
「結婚して誰かに養ってもらえれば大丈夫」
母が子供だった頃、そして私が子供だった頃も
そんなおおらかさに見せかけた残酷な言葉で
困りごとを分かってもらえなかった子供は社会に放り出されました。
私の同級生でも明らかな発達障害や知的障害がありそうなのに
そんな感じで義務教育の期間、放っておかれた子供が数人いました。
そして様々な理由で福祉に繋がれなかった子供が
大人になって家庭を持ち子供をもうけた際に、
今までの対人関係の応用ともいえる子育てで困難をきたし
大人になって家庭を持ち子供をもうけた際に、
今までの対人関係の応用ともいえる子育てで困難をきたし
私のようなカサンドラになる子供が生まれていくのです。
今、発達障害に関する発信がなされる傍らで
今、発達障害に関する発信がなされる傍らで
そんなカサンドラとなった子供を「親を助けなさい」だとか
「発達障害に理解がない」と否定する大人も
ままいるように見受けられます。
(あくまで体感ですが)
「発達障害に理解がない」と否定する大人も
ままいるように見受けられます。
(あくまで体感ですが)
カサンドラになる子供はすでにぎりぎりの状態です。
それでも本当は親の人権や自由を尊重した状態で
何とか共存していきたいと思っています。
それでも本当は親の人権や自由を尊重した状態で
何とか共存していきたいと思っています。
そんな子供の存在もどうか気づいてほしいのです。
大人たちがそんな言動をして子供に押し付けている限りは
本当の意味での発達障害やその他の障害への理解は進みませんし
いつまでたっても包括的な支援体制は実現できません。
本当の意味での発達障害やその他の障害への理解は進みませんし
いつまでたっても包括的な支援体制は実現できません。
私の心の中には母への憎しみと、母のことを救えなかった自責の念が
共存しています(救うというのは傲慢だと思いますが)。
母のことがあっても、自分がこんな風になってしまっても
私は発達障害の人にも「子供を産んで
次の世代へ命をつなげる自由」があると考えます。
しかしどういう生育ルートをたどったとしても、
大人になった発達障害当事者には
ある程度の自助が求められてしまいます。
大人になった発達障害当事者には
ある程度の自助が求められてしまいます。
例えば病院や学校、にぎやかな街などが苦手で
今までは避けられてきた場所や事柄であっても
今までは避けられてきた場所や事柄であっても
子供を育てる以上「苦手だから行かない、
感覚過敏だから、体調不良だから参加しない」という選択は
感覚過敏だから、体調不良だから参加しない」という選択は
できなくなる可能性が高いということを踏まえて
子供をもうけるかを考える必要があります。
子供をもうけるかを考える必要があります。
配偶者に頼んだり、お金を払って
誰かに依頼できる環境であれば良いのですが。
誰かに依頼できる環境であれば良いのですが。
とにかく子供をもうける選択をした以上、
苦手な場面に立ちむかわなければならないことを
子供のせいにすることだけはやめてほしいと願っています。
苦手な場面に立ちむかわなければならないことを
子供のせいにすることだけはやめてほしいと願っています。
そしてカサンドラ側である「あなた」へ。
もしこれを見てくれたなら、
どうか自分自身のことを
もしこれを見てくれたなら、
どうか自分自身のことを
発達障害に理解のない人間であると
責めることは今すぐやめましょう。
責めることは今すぐやめましょう。
親のために子供のあなたの人生や青春を
犠牲にすることは間違っています。
犠牲にすることは間違っています。
あなたには自分の人生を生きる権利があるのです。
あなたに心無い言葉や責任を押し付けたのは、
自分が手を出したくない無責任な大人たちです。
自分が手を出したくない無責任な大人たちです。
本当はあなたの両親や周りの大人たちが自分たちで
何とかしなければならなかった問題であることを
忘れないでほしいのです
何とかしなければならなかった問題であることを
忘れないでほしいのです
私はこのブログ執筆と併せて、少し前からあるNPO法人に籍を置き
親によって生活が困難となっている子供の支援に関わる活動を始めました。
(児童福祉関連の資格があるわけでもないので
もっぱら事務局寄りの業務が多いですが)
もっぱら事務局寄りの業務が多いですが)
子供も生まれ、年々年も取っていく私が
できることの幅は狭くなってきていますが
できることの幅は狭くなってきていますが
それでも毒親育ちの身として何か社会に還元してきたいのです。
今回の内容をすべて漫画にまとめる時間の余裕がなかったため、
今回は文章メインの記事となってしまいましたが
今回は文章メインの記事となってしまいましたが
この記事以降は、子供だった私から見た母の困りごと、
一人の人間としての記録をそのまま漫画で描いていこうと思っています。
一人の人間としての記録をそのまま漫画で描いていこうと思っています。
療育がなかった時代(※もちろん療育は補助的なもので
すべてが解決するとは思っていません)に社会にほったらかしにされた母の
すべてが解決するとは思っていません)に社会にほったらかしにされた母の
困りごとを見て「この場面ではどうしたらよかっただろう?」
と発達障害について考えていただける切っ掛けになれば幸いです。
と発達障害について考えていただける切っ掛けになれば幸いです。
ここまで長文をお読みいただきありがとうございました!
どうか次回以降も読んでいただけますと嬉しいです(;'∀')
次の話はこちら↓
(次の話を投稿次第こちらにリンクを挿入します)
★コメントは現在承認制で受け付けております★
基本的にコメントはすべて拝見していますが
特定の属性への差別や偏見を助長するものなど
内容が公開に適さないと判断いたしました場合は
頂いたコメントを公開しないこともあります。
何卒ご了承ください。
(インスタのリンクはこちら)
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